朴 斗英 パク・ドゥヨン 個展
ギャラリーセラー
私の表現
良い美術とは、同時代の懸案やパラダイム(Paradigm)の境界に位置しなければならないと思う。それは趣向や感性を超え作家が自分の名前で発言する「マニフェスト(Menifesto) 」だからである。
私は、現実世界が虚構に過ぎず、実在を知ることもできず、自ら製作した多層の記号版(World Versions)と変わらないという Nelson Goodmanの哲学的見解に同意する。また、世界の実態は無常に縁起する空であり、存在するのはただ現在の心だけだという仏陀の教えにも共感した。さらに、修養と正しい人生の実践を通じ「理」の価値を体で生きようとした、朝鮮の儒学者李滉の態度にも大きい感銘を受けた。
振り返れば、 私は初めて美術を通じて格物して致知し、窮理尽性を夢見た。美術を通じて価値を指向する人生の美しさを悟り、その旅程を通じて多くの師匠に出会ってきた。
1981年、電燈を照らす角材をたてて影の長さと高さの比例を表わした作品を発表して以来、私は10年余りの間、私の経験と言語、概念の検証を通じて思考の枠組みを解体し、再構築しようとする試図を作品に反映し発表した。 当時はいつも“美術は理性の図解Diagram”という信念を持って、自身だけの美術を探そうとする熱情が充満していた。
1992年のある日、マスを分けて補色で満たした画面を私の美術で電撃採択した。 それは当時苦悶した主題や形式問題に先立ち“それを実践する態度”がより価値を持っているという悟りのためであったが、その時どうせやるなら技芸と勧力などが介入しない、つまらなくて単純な図を描くべきだとの確信し、一つの方便でオニングや屋台の天幕のような、街でよく見て来た補色 縞模様を画面に持ってくることになったのだ。もちろんそのイメージを選択したことは、民画のように主に身分が低い階層で使用することでもあるし、レディーメード(Readymade)のように最も没個性的でもあって、一切の感傷が包含していなかった無情さがあったためだが、とにかく私にはとても気に入って好きであっても嫌いであっても一生の課業にして続けて表現するのが一人の人間としての美術家が実存の誤謬を克服し、価値を具現する道だと私は信じた。
もちろん以後の展開過程は単調な形態の反復があたえるつまらなさと苦しさを耐えることができず、イメージの変奏をすることになったが、その原則を維持するということにはいかなる揺らぎもない。
良い美術は偏見と慾望に埋没された観念を下ろして、いつも新しい視線で世界を眺める作家の態度から始まると信じる。どうせ世界が個別意識が構築した数多くの記号版ならば、その中で価値を発見しなければならないのは、ただ自分の役割ではないだろうか?
このような意味で、私は、私に与えられた理性の美しさと実践可能な最も単純な方式で私の美術を窮理とし、つくり、提案する。
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