2023.8.22
店主インタビュー 『京橋アート・アベニュー』第2回 上野哲さんが語る、京橋「仲通り」の魅力とは?
中央エフエムHello! Radio City「京橋アート・アベニュー」
第2回7月28日(水)放送
出演者 五月堂代表 上野哲氏
ナビゲーター:JUMIさん
*本記事は中央エフエムさんに許可をいただき、収録内容を書き起こして編集したものです。
美術商の憧れ、仲通りに店を構えた理由
JUMI
皆さん、中央区京橋には日本一のアート街があることをご存知ですか?
いにしえから現代まで多彩なアートの魅力を発信する街。ここは150ものギャラリーが集う日本有数の美術街です。江戸時代からアートとゆかりが深く、美術館級のお宝からご家庭で楽しむアートまで、何でも揃うアートの街、そんな京橋に店を構える美術のプロたちを月替わりでお招きして、アートの街としての魅力を語っていただきます。
今日スタジオにお越しくださったのは、五月堂ご店主でいらっしゃる上野哲(うえの あきら)さんです。上野さんよろしくお願いいたします。
上野さんは長く京橋の街でお店をやってらっしゃいますね。上野さんにとって、京橋はどんな街でしょうか?
上野
京橋から日本橋に続く「仲通り」というところは、我々美術を商う者にとって、古くから老舗が集まる、日本でも有数の美術街であると若い頃から認識しておりました。
だからこの仕事をするならばこの「仲通り」で、という思いを持ってらっしゃる方は多いと思います。
JUMI
上野さん、つまり五月堂さんが、京橋にお店を構えた理由を教えていただけますか?
上野
はい、私で2代目になるわけですが、同じ仲通りの日本橋にあるお店で、父が25年ほど修行しておりまして、昭和53年に独立をしました。母屋の近くであるということもあるし、やはり父もこの仲通りに面した場所で店を持つことが、美術商としての憧れだったのだと思います。
昭和の50年代というと、今のように大きいビルは多くはなかったと思います。小さなビルがいくつもあって、美術店が賑わっていたらしいです。お隣にも向かいにも同じようなお店が揃ってる場所でしたので、今の場所に決めたのだと思います。それ以来、もう45年くらいですかね、同じ場所でやっております。
JUMI
若い頃からこの仲通りの変化も見てらっしゃったということですね。
上野
そうですね。私も学校を出て、働きだしてからずっと日本橋と京橋で30数年間過ごしてきました。
田中親美先生の料紙作品とカリスマ性
JIMI
五月堂さんのお店としての特徴、そして扱っていらっしゃる美術品はどのようなものか教えていただいていいですか?
上野
父も私も同じ店で修業しておりましたので、そちらの影響が一番あります。桃山時代のやきものに一番魅力を感じますし、天平から平安にかけての仏教美術や、鎌倉時代の大和絵などを修行時代から見て勉強させていただいてきました。
ただ、修行先で扱っていたものは一流品なので、そこまでのものを我々が扱うことはなかなか難しい。そこで父は、自分の得意なものを作らなくては、という思いがありまして、修行時代にはあまり扱いがなかった平安朝の仮名の「歌切」や、天平から平安にかけてのお経の断簡などを専門に勉強して扱うようになったと聞いております。
私も同じような感じですね。自分の好きなもの、得意なものを見つけなければと思い、古筆や写経を多く扱うようになりました。
JUMI
本日はそんな上野さんに、お店のおすすめの一品をご紹介いただきたいのですが。
上野
はい、古筆を父が勉強し始めた理由として、日本でも有数の古筆研究家であった田中親美先生の影響が非常に大きいです。
ご存知の方もいると思いますが、田中先生というのは料紙の作家であり、日本画家であり美術研究科であり、また明治時代から昭和にかけての有名なコレクターの相談役も引き受けながら活動を続けていた方です。有名なところですと、厳島神社にある平家納経の模写を作ったり、貴重なものを多く残された方です。その田中先生の料紙の巻物(かんもつ)というのがございますのでそれをお持ちいたしました。
JUMI
この「りょうし」というのはどういう字を書くのでしょうか?
上野
「りょうし」の「りょう」はお料理の「料」という字ですね。それに「紙」という字で「料紙」と書きます。
昔は書を書く紙というのは、一般に手に入るものではなく、高貴な方が使うものでした。字を書くことも、全ての人ができたわけではございません。
そういう時代の紙は、いろいろなものを書く上で、装飾を施したり紫や紺に染めて、より豪華さを求めて料紙文化というものが発達してきたわけです。
JUMI
なるほど。今日スタジオにお持ちいただいたものは、本当に美しいですね。美術館でもなかなか見ることができないくらいの作品だと思うのですが、よく今日スタジオにお持ちいただいたと思って本当に感謝をしております。
両面ともに金箔銀箔、そしていろいろな色を施し技法も施された、こんなに美しい料紙というのがあるのですね。
上野
現代でこれを作ってくれと言われて、できる人が果たしているのかな、と思います。この紙を作ったのは、おそらく大正の終わりから昭和の初期頃だと思いますけれども、既に100年ほどは経っていると思います。
JUMI
100年経っているとは思えないくらい美しいです。
一級品というものは時代を経ても決して褪せることはないと思いますが、その技術たるや、今はない技法の方が多かったりするのですか?
上野
そうですね。この料紙にも使われている「切金(きりがね)」という技法があるのですが、金箔を髪の毛みたいな細さに切って貼り付けていきます。刃物で切るとくるくるっと丸まってしまってできなかったと言うんですね。ですが、ある仏像の中から、何に使うのかわからないと言われていた道具がありまして、それが切金を作る道具だということを田中先生が明治か大正の頃に発見して、切金の細い線を作れるようになったと教わりました。
JIMI
なんと、仏像の中にしまわれていたんですね!
上野
色々なものが仏像にしまわれたりすると言いますけれど、道具みたいなものも保存されていたということのようです。
京橋の地での文化交流と美術館の魅力
JIMI
こういったお話を伺うとですね、実際にお店に行って作品を見せていただき、技法にしてもそうですし、いろいろな作家の方たちの思いを教えていただけるのだと思いますが、上野さんのところに伺っても今のようなお話をしていただけるのでしょうか?
上野
お店をやっているということは、ただ単に売るだけではなくて、お客様と色々な話をして、どういうようなものがお好きなのか、どういう趣味があるのか知りたいという思いはあります。お客様も「この人はどんな人なのだろうか」と、そういうような思いは絶対ありますから。
1時間でも2時間でも喋って、それが1回、2回と続いて、気が合うとまた来てくださって。それがコレクションを形成する上で、とても大事なことだと思います。品物をただ単に取引するということではなく。
JIMI
本当にそうですよね。昔の人たちがずっとずっと繋いできたものであるからこそ、私達も会話で繋いでいかないといけないですね。
上野
ありがたい事にも1000年前からずっと誰かの手を渡ってきたものを、この令和の時代にたまたま扱わせていただいて、次の人に少しでも橋渡しをしていくことが、とても意義のあることだと思います。
JIMI
京橋の地でそれが行われていることを、ぜひ多くの方に知っていただいて、作品を見に来ていただきたい。何よりも、ガラス越しではなく見られますから、ということを強調したいですよね。
上野
おっしゃる通りです。
五月堂からのバトン--次回ご店主の紹介
JIMI
それでは上野さんからぜひ、リスナーの皆さんにメッセージをお願いいたします。
上野
はい。特に京橋の仲通りには、老舗の立派なお店もございますので「敷居が高くて入りづらい」というお話は私もよく伺います。
ですが、今は若いスタッフがいるお店もたくさんありますし、女性スタッフが以前に比べてかなり増えました。そういう意味では入りやすい雰囲気の店作りをしてらっしゃるところが多いと思います。
東京駅からも近いですし、銀座の隣の駅です。ぜひお散歩でもしていただきながら、覗いていただければと思います。
JIMI
本当に気軽にお越しいただいて、他では知ることができないお話が聞けるシーンをたくさん皆さんに感じていただきたいですね。
というわけで今日は、五月堂から上野哲さんにお越しいただきました。
それでは上野さんから、来月ご出演くださるご店主をご紹介いただきたいのですが。
上野
次はですね京橋の林田画廊さん。ご主人の林田君をご紹介したいと思います。
彼はまだ40代なのですが、積極的に活動なさってますし、組合の方の世話人としても非常に忙しく動き回っています。私と違って現存作家の作品を扱っておりますので、楽しいお話が聞けるのではないかと思います。
JIMI
ありがとうございました。ぜひ皆さんには京橋にお越しいただきたいと思います。
というわけで、今日の京橋アベニューは五月堂からご店主の上野哲さんにお越しいただきました。上野さんありがとうございました。
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