2014.4.26
店主インタビュー 孔雀画廊
伊賀芳子さん
——ここ京橋に、銀座から移転されたんですね。
伊賀 この場所にオープンしたのが2013年5月だったので、前回の東京アートアンティークには間に合わず、今年が初参加です。京橋は先代の小関文吾社長が孔雀画廊を創立された地です。いいところですね。貸し画廊もあって学生や若い方が借りて個展を開いていらしたり、現代アートもあったりで見に行くのが楽しいです。
——伊賀さんが画廊のお仕事をされるようになったきっかけを教えていただけますか?
伊賀 孔雀画廊はもともと日本画が専門で、孔雀のロゴマークも杉山寧先生に描いていただいたものです。「五山会」展(杉山寧、髙山辰雄、東山魁夷、西山英雄、山本丘人)のような企画展を開催するような画廊に、日本画に限らず絵が好きだった私は就職したわけです。京橋から銀座8丁目に移っていた時代でした。お客さんがいらしたらお茶を出したりするところから仕事を始めました。画集で画家のプロフィールを見るのは楽しかったですね。
——好きな絵に囲まれた仕事場、楽しそうです。
伊賀 お客さんから絵や資料の見方を教わることが多かったですね。そのころは東山魁夷先生や、髙山辰雄先生といったそうそうたる方々が、日展などに向けてすごい絵を描かれていた時代でしたから、「今度はどんな絵を描かれているんだろう」と楽しみでしたね。
——ご主人の静雄さんは孔雀画廊の創立者・小関文吾社長から声をかけられて勤めていらしたそうですが、画商と並行して、スケート選手としても活躍され、ショートトラック1500mで世界記録を達成されたんですよね。
伊賀 講演などで、その話をすると止まりません(笑)。昭和60(1985)年、孔雀画廊の看板を引き継いで独立しました。銀座では日本画専門でしたが、こちらでは洋画や現代アートも扱います。入ってきた絵のジャンルがいろいろですから、資料集めなどから調べて作家を知っていくのは楽しいですよね。
——銀座はビルの中でしたが、こちらは1階です。なにか変化したことはありましたか?
伊賀 この前、ここの路地をバイクで走っていた方が、大藪雅孝先生が描かれた鯛の日本画を見て「この絵はいくらですか?」と入ってこられたことがありました。白い割烹着を着た板前さんでした(笑)。銀座では3階とか6階でしたから、そんなことなかったんですが。あと郵便局も銀行も、宅配便やコンビニも、すぐに行けるので便利になりました(笑)。
——お客さんの変化もありましたか?
伊賀 固定客の方々は変わりませんが、ここに来てから貸し画廊を始めたんですよ。そうすると、今までとは違う「こういうやり方もあるんだ」ということがいろいろあって勉強になります。たとえば昨年12月、「それでも世界が続くなら」というロックバンドのレコードジャケットを手がけているおおはましのぶさんが個展を開いたのですが、ツイッターだけで1週間に300人、日本全国から来訪者があったんですよ。彼女はひとりひとりに挨拶していました。素晴らしいなと思いました。
——始めてみないとわからないことって多いですよね。
伊賀 いろんな方と知り合えるのでそれも楽しいですよ。今年の夏に3人展の予定があるのですが、申し込みなどのメールのやり取りではわからなかったんですが、実際にお見えになったら70代〜80代の方でびっくりしました。展覧会をするのは初めてだそうです。「ちょうどうちはパネルも3つですし、スペースも小さいのでムリせずにできますよ」と言ったりしまして(笑)。夏の暑いときですがここは涼しいですし、お手伝いしながら開くことになりました。
——現代アートの展覧会も予定されていますね。
伊賀 小野忠弘展を4月16日〜5月6日に開催します。昨年が生誕100年という方ですが、厚塗りの画面やガラクタのような廃品を貼り付けた立体など、絵画や彫刻といった既存のジャンルを超えた独自の表現を追及したユニークな作家です。東京アートアンティークの期間は、孫にあたる川井健司さんの映像インスタレーションを行います。