2023.11.20
『京橋アート・アベニュー』第5回 古美術去来 京橋は尊敬する美術商がいた街
中央エフエムHello! Radio City「京橋アート・アベニュー」
第5回10月25日(水)放送
出演者 去来店主 松沢京子様
ナビゲーター:JUMIさん
*本記事は中央エフエムさんに許可をいただき、収録内容を書き起こして編集したものです。
京橋は尊敬する美術商がいた街
JUMI
京橋ア―ト・アベニュー、皆さん中央区京橋には日本一のアート街があることをご存知でしょうか? いにしえから現代まで多彩なアートの魅力を発信する街。ここは150ものギャラリーが集う日本有数の美術街なのです。
江戸時代からアートとゆかりが深くて、美術館級のお宝から、ご家庭で楽しむアートまで何でも揃うそんな京橋にお店を構える美術のプロたちを月替わりでお招きして、アートの街としての魅力を語っていただきます。
それでは参りましょう!京橋アート・アベニュー、今回は第5回目になりました。
その5回目のゲストは、京橋1-6-14にお店を構える去来の女店主、松沢京子さんです。
松沢さんよろしくお願いいたします。
松沢
よろしくお願いいたします。
JUMI
番組が始まる前には「私はそんなに語ることはないのよ」とお話されていたのですが、今日はスタジオに貴重な作品をお待ちいただいているので、解説もしていただこうと思います。
まずは松沢さん、京橋という街への思いを教えていただきたいと思うのですが。
松沢
本当は神田の街のように、誰もがあそこへ行ったら何かがある。というイメージができればいいなと思っておりますが、私的には、京橋には尊敬する古美術商の方がいる街というイメージで引っ越してきたので、街全体をどう思うってことはもうないですね。
JUMI
なるほど。「尊敬する方」がいる街だという。
松沢
皆さん亡くなられてしまいましたが、私がこの商売を始めたときに、「こういう人たちを古美術商というのかな」と思えるような方たちが生息していた街でした。
JUMI
松沢さんをしてそう言わしめる方たちっていうのは凄いですね。
松沢
とんでもないです。今生きていらっしゃったら、皆さん90近いかな。今と違ってフラっとモノを買う若い人たちと違って、非常に構造的にモノを見ている方達でした。
色々な経験、鑑賞の力と、それから何と言ったらいいのかな。見識という言葉が一番いいかもしれないですね。大きな氷山の形をした見識の中からご自分が選んだものを出してくる。
JUMI
しかもそれは世界でも稀なものだったりするのですか。
松沢
世界の中で考えていたと思います。
JUMI
そういう思いをお持ちの松沢さん、今京橋にお店を構えた理由はそこに起因しているのですね。
松沢
そうですね。中野にいたのですが、私が面白いなと思った方々は、まず「見る」。見てどう思うか。そういう鑑賞の世界であって、「用の美」とか部屋に飾ってどうするということではないのです。鑑賞ものを扱っている人たちは、大体都心に生息してるな、と思いますね。今でもその傾向はあると思います。
JUMI
なるほど。こうやって一言一言、松沢さんのお話を噛みしめるように伺っていると、含蓄があって引き込まれますね。
松沢
なんかね。笑わせないでください。(笑)
JUMI
いや、なかなかこうしてメディアにお出になることはないと思いますから、もうここはじっくり掘って掘っていきたいと思っていますよ。
松沢
インスタに文章を書くのも嫌なのに。(笑)
古代の芸術をピュアに鑑賞する「分断された意識」
JUMI
さあ、松沢さんが「去来」で扱ってらっしゃる美術品には、具体的にどのようなものがあるのか教えていただいてよろしいでしょうか?
松沢
そうですね。具体的に言うと紀元前のものが好きで、新しくても唐時代です。それから、鎌倉時代。近世は苦手です。きっと。
JUMI
その魅力はどんなところにあるのですか?
松沢
大和政権ができてからの美意識というのは、現代まで継続してるような気がします。
ですが、例えば日本で言うと縄文とか埴輪って、特に縄文がそうだけど継続してないじゃないですか。継続してないから今の感性で叙情的に捉えなくても見ることができるのが面白いですね。
JUMI
途絶えてしまい継続していないものだからこそ、物そのものを見ることができる。
松沢
叙情的な空間を作らずに、そこに発掘されたままの形で存在していると、思い入れや美意識や感性といった世界が挟み込むことができない。
ただ、古美術の人に受けるかというとあまり受けなくて、アートフェアのような現代アートを展示する会場だと「面白いものないかな」と探してる視線があるじゃないですか。そこに並べると「なんだこれ、面白いな。部屋に置いてみようか」となる。そういう感覚で見てもらうことができるんですよね。
JUMI
何千年を一回りして、令和の時代に古代のものと客観的に向き合える人たちがいるのですね。
松沢
そういう場を作れば、かな。
JUMI
去来のお店にはその場があるわけですね。
松沢
ないない。
JUMI
ないの?! ちょっと待って、あるのかと思いましたよ。(笑)
松沢
縄文って1万3000年あると言われているじゃないですか。でも、縄文についての言葉というと、「土偶」「三内丸山」に「火焔土器」の三つぐらいしか皆さん持ってないのよね。
そうすると、縄文でも割と前期のものはシンプルなのだけど、弥生もシンプルになってくるので、本当は全然違うのだけど前期のものを見て「弥生だ」と間違ったことを言う人もいるわけです。そうすると一から「これは紀元前5000年前のもので…」と説明しなければならないじゃないですか。
で、私はお客さんに対して愛想が悪いし、極めて採算に合わないことなので、縄文は店では出さないのです。
JUMI
そういうことですか。
実は今日、松沢さんおすすめの一品をお持ちいただいたのですけれども、非常に小さいものなのですよ。これは青銅製のものなのですが、形としては牛ですかね。
松沢
牛ですね。
JUMI
牛が横たわっていますが…。
後ろにベルト通しみたいなものがありまして、ベルトを通して使われていたのでは、ということですね。
松沢
遊牧民族の流れですね。
JUMI
なぜこれを今日の一品としてお持ちくださったのでしょうか?
松沢
本当は、最も人気のない加彩の庸とか持ってきたかったのですが、大きいじゃないですか。ポケットに入るといったらこれぐらいでね、あまりなかったのですよ。
JUMI
(笑)
この横たわる牛はね、首をもたげてるわけですよ。
ですから私は上から眺めるよりも、牛と同じ目線にしゃがんで見ると牛と見つめ合えるのではないかと。。。さっき発見したんですけど。(笑)
松沢
基本的にうちにあるものは、使い道がないもの。で、これも見るだけ、見つめ合うだけ。何の役にも立たない、そういうものが好きかもしれないですね。
JUMI
その背景にある何千年もの間生きてといいますか、それが今ここで私達が巡り合えたということが、ものすごくロマンだと私は思いました。
松沢
そうですね、これは西周時代のものですが、皆さん「西周」というと青銅器を思い浮かべて「いいな」と思ったりしますが、高くて買えません。西周の小さな青銅で買えるものとなると、そうないのです。それが、この小さなバックル。本当は青銅器の一つでも、ボンっと持ってきて「綺麗ですよね」って見せることができたら面白いんですけどね。
JUMI
おっしゃるように、極端な話「ポケットに入れて毎日持ち歩いて一緒に歩ける」。もちろん、それは困ると思うのですが。
松沢
私は持ち歩いたりというよりも、押入れにしまっているコレクターが好きですね。頭の中で遊ぶのが好きです。あの彫りの変遷がどうであるとかね。他の西周のものと比べたり、戦国になるとどう変化していくのか、と頭の中で考えたり。骨董屋さんで何か買ったとしても、もう頭の中で買っているので押し入れに放り込んでおく。そんな押し入れ派が好きですね。
骨董屋さんを巡る楽しみ方について
JUMI
言葉一つ一つがユニークで素敵です!
そんな松沢さんに、ぜひリスナーの皆さんにメッセージを一言お願いできますか。
松沢
骨董屋さんを歩いて回ると、最初に覗いた時と、次に覗いた時とでは見えるものが違ってくる。こういうような骨董の経験の積み重ねがすごく面白いんじゃないかな、と思います。
自分の目で見るという非常に抽象的な、確実ではない現象が、何回か積み重なることによって目が変わってくるというか、目に入るものも変わってくる。
最初に私がやってた実験なんですけれども、美術館に行って一通り見て、もう一度行ってみると見えてくるものが変わります。今まで見ていたものは何かな、と考える。見えることの変化・認識力を自分で実験してみると面白いのではないかと思います。
京橋には、たくさんの古美術商が集まっていて、皆さん厳選したものを売ってらっしゃるので、そういう目で覗いてみると面白いのではないかなと思います。
JUMI
ありがとうございました。
というわけで、今日は京橋1-6-14にある「去来」の女店主でいらっしゃる松沢京子さんにお越しいただきました。松沢さん、本当にありがとうございました。
松沢
ありがとうございました。
JUMI
次回11月は、東京アート・アンティークの小野瀬さんにご出演いただいて、この東京アート・アベニュー、「京橋仲通り」の魅力をご紹介いただこうと思います。
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