2015.3.25

日本橋室町ちょっといい話:或る鮨職人のこと

日本橋室町ちょっといい話:或る鮨職人のこと

日本橋室町ちょっといい話:或る鮨職人のこと

 平成2(1990)年4月に私が壺中居に入社してから、早や四半世紀の時が経ちます。その翌々年11月のこと、故・小山岑一先生(1939-2006)の作陶展を開催し、初日夕方にオープニングレセプションを行うべくぼちぼち諸準備をしていますと、或る紳士が風呂敷を抱えてひょっこり御来駕され、「岑ちゃん、つまらんもんですが、今晩使ってくださいな!」と解かれた風呂敷の中身が実に立派で美味しそうな握り鮨の大桶なのでした。小山先生が嬉しそうに応対する中、そそくさとお帰りになられましたが、小山先生曰く、「日本橋本町の千八(せんぱち)さんといってね、それはいい仕事をするから、君も使ってみたらいいよ!」、私答えて曰く、「私如き若輩には敷居が高すぎますよ」、「いいからいいから、行ってお出でよ、悪いことはないから、勉強になるぞ...」、私、「はあー...」

 展覧会を終えて暫く経ち、小山先生から教えて頂いた番地をあてに日本橋本町の静かな裏路地をウロウロしますと、慎ましやかな店構えの「千八鮨」様を見つけて深呼吸一番、思い切って暖簾を潜りました。予約無しでぶつかったこの晩の体験は今でもありありと思い出すことがございます。

 暖簾を潜ると先客の紳士2人が勘定を済ませて上がり(お茶)を楽しんでいるところ、その後定員10名の「つけ台(カウンター)」は結果閉店時まで私独りだけになってしまいました。千八様曰く、「んー、貴方は大したもんだ、若い身空であたしの店にたった独りでいらっしゃるなんて、フフフフ...」と細い眼をピカーッと光らせニヤリとされます。一瞬、緊張と当惑と恐怖が全身を襲いましたが、「ままよ! 命までは取られまい。勘定不足なら身ぐるみ脱いで土下座すればいい!」と持ち前のズーズーしさから肝が据わり、「はあ、お鮨のことは西も東も全く分かりませんので、ご主人にすべてお任せで色々と教えてください、お願いします!」と頭を下げますと、ご主人はニコッと微笑まれ、「うん、えらいえらい、よーし分かった、腕に撚りをかけるから、本物の鮨を楽しんでいって頂戴!」。

 結論を先に述べますと、千八様は通り一遍のお鮨屋ではなく、「江戸料理研究」の大家、付出しから〆の卵焼きまで驚異に値する創意と工夫、そして純江戸料理研究の成果=精華が盛り込まれていますので、私は大いに驚きかつ感服しました。勿論味は文句なしの素晴らしさ、ボリュームも絶妙ゆえ何度も何度も唸りました。「これはどんなお魚ですか。これはどちらの貝ですか」等々率直にお尋ねしますと、実に懇切丁寧に産地・料理法の薀蓄をご教示して頂きますので、大いに勉強になりました。

 また、この日の勘定は想定外の廉価ですので二度びっくり、覚えず「本当にいいんですか」と目で訴えますと、「フフフ、気は心だよ、よかったらまたお出で。旬のものを一番の料理法で美味しく楽しんで頂きたい。ぜひお出で!」。以後、給料日になると必ず寄らせて頂くこと、10年程になりました。

 当時の千八様にはお弟子さんが2人いらっしゃり、兄弟子は満願で郷里秋田の実家に戻られ、後は眼鏡をかけてクリクリっとした朴訥な好青年=山沖新(やまおきあらた)君がずっと師匠の右腕として修業に勤しんでいました。その千八様は今から10年程前に65歳を一期として自主廃業されましたので現存せず、文字通り「伝説のお鮨屋」となりました。真に惜しくも潔い御身の引き際かと尊敬いたします。

 その後何年も経って、1人の青年が我がギャラリーにフラッと私を訪ねて来られるのでよく見ますと、なんとあの千八様に最後まで付いていた山沖君ではありませんか! 彼曰く、「来月、旧千八鮨のすぐ近くで自分の店を構える運びになりました。よかったらお出で下さい。師匠には及びませんが、一生懸命頑張ります!」。

 日本橋室町のひっそりした「しもた屋」が並ぶ一角に、「鮨山沖」はありました。出来たてホヤホヤのお店はつけ台7席のみ、小さな小さな「お城」でした。仕事場の山沖君はなかなか立派に見えますし、肝心のお仕事はと云うと、千八様のご薫陶のもと師匠の腕を立派に継承していると直感しました。一方で修業先では目にしなかった食材と料理法のものもまま見受けられるので尋ねますと、「旧主人が現役中に嫌悪して手に触れなかった食材が色々ありました。僕の見解ではOKだし、良い食材かとみますので、主人には心中お詫びをしつつ積極的に挑みたいのです...」との真摯なご返事。実際苦心しつつも立派な信条とその成果に惜しみなく拍手を送りました。

 実はその鮨山沖にはここ数年不義理をし、昨年実に久し振りに寄ってみました。再会した仕事場の山沖君は以前と全く変わらぬ朴訥かつ淡々とした風貌、しかし数年間伊達に空しく過ごしておらず、「毎日が真剣勝負!」と云う鍛錬を積んでこられたこと、店内の雰囲気から仕事の内容まで、以前に増して充実感が漂っていることから即座に理解出来ました。同年代の私よりもズッと進歩深化していると確信しました。因みに、この晩最も印象的な一品、それが三浦半島産・烏賊のゲソ料理なので、過去に賞味したそれのイメージを完全に覆す実に丁寧かつ素晴らしい逸品でした。

 私見では「料理」は芸術の一範疇、しかも最も厳しく残酷なジャンルのひとつ、私が携わる美術の世界以上に新鮮度・完成度を求められ、かつ競争が激しい世界です。その荒波の中を山沖君は日々孜々として精進し、自分の「芸術」の世界を模索し構築する努力を怠っていません。全く頭が下がります。今後も彼の後姿をジイーッと見つめ、その真骨頂である「真摯さ」と「創意」と、千八様修行期に培った「基本に帰る」姿勢とを見習って、私自身に応用したく存じます。山沖君、また寄りますよ、前回以上の感動を期待します、自然体で怠らず日々研鑽に励んでください。



ギャラリーこちゅうきょ  伊藤潔史

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