2012.4.5

店主インタビュー 古美術 天宝堂 vol.2

増田圭吾氏

Q)今回どのような美術品についてお話いただけるのでしょうか?

A)大津絵というものについてお話しようと思います。自分が一番好きなものですから。

元々大津絵というのは、今の滋賀県の大津市、当時東海道五十三次の中の大津宿(追分)という所で作られていたお土産品です。始まりは江戸初期からで、当時は仏画を主に描いていたのです。きちんとした仏師さんに頼んで描いてもらうとものすごい金額になってしまうので、庶民でも買える値段で売られていて、民家で飾ってお祀りできるというのが始まりだったようです。

そしてだんだん信仰という形から、江戸の前期には肉筆浮世絵風の世俗画、江戸の中期頃から風刺・滑稽画になり、この飾っている「藤娘」の絵は、「良縁」「娘が早く嫁に行ってくれるように」というように、お守り(護符)としての意味合いを持つようになりました。

「鬼の念仏」は、もともと「念仏を唱えても、唱えている人が鬼なら意味が無い(偽善者)」「鬼の住まいは人の心の中にある」など風刺画だったのですが、「鬼の念仏は子供の夜泣きを治める」という意味をもったお守りになりました。

当時、人気の大津絵十種というのがあったのですが、江戸の後期以降になるとそれまでの仏画や人気大津絵十種に対して、時代の流れと共に、護符という意味合いというのは徐々に薄れていってしまったかもしれないですね。

Q)慣れていくに連れて逆におもしろくなった所はあるのですか?

A)当時の大津の宿場町で、大津絵を描く店が数多くあったという話なんですね。それぞれお店で得意分野があって、それぞれが個性を出してやっていたようで、同じ画題でも見比べてみても、個性があって、今まで現存する大津絵で、これは同じ書き手だな。と思うものが結構あるんですよね。時代とともに簡略化されていって、仏画は顔を「芋版」という版を使って描いてたりするんですけど、それがかえって可愛らしくて、趣があるんです。描き慣れた筆の勢いなどが「大津絵らしい!」と思わせるところではないでしょうか。

Q)見本など見せていただいてもよろしいですか?

A)これがうちで扱って来たものです。(ファイルを見せていただく)これは初期の頃の「位牌」の図で、年号が描いてあるんですけれども、初期大津絵の年号がわかるということで資料的価値もあるんですね。ほとんどの大津絵には年号が入っていないんです。

この「位牌」の周りの黒い枠は初期大津絵の特徴の一つで、描き表具といって、周りに黒い線を描いて上下に赤で区切っています。表具を描いているんですね。

これも初期の大津絵なのですが、これは紙の裏に「安永九年 不動 十二月十八日」と書いてあります。大津絵で年号が書いてあるのは、さっきの「位牌」くらいなのですが、これは珍しく年号が入っているという意味で資料的にも興味深いです。また「不動明王」というのも珍しいです。他には日本民芸館に大きなものが一点確認されているくらいなんですよね。探せば多少は他にも出てくるかもしれませんが、僕が知る限りでは初期大津絵の「不動明王」はこの二つだけです。

これは「十三仏」ですね。これはオリジナルの描き表具がなくなってしまって、中身だけになったものです。数少ない初期大津絵の中には、こういった状態の物があるんですよ。ですからオリジナルの状態で残っているものというのは少ないんですよ。初期のものは細竹で出来た軸芯があったのですが無くなってしまっているものも多いんですよね。

中期になってくるとまくり(未表具)で売っていたようです。未表具で持ち運んだため状態が悪くなり、大津絵というとかすれた状態のものと思われがちですけれども、決してそうではないんです。かすれ具合は詫びた感じにも見えるのですが、絵画的な観点から見ると、いい状態で見れた方がいいと僕は思うんです。

後期の大津絵には、一枚の紙のものがあります。飾っている「藤娘」を見てみても、途中で紙が継いであって二枚版なんです。江戸の後期になると一枚版と呼ばれているものが多く出てくるんです。それが後期の一つの特徴なんですね。初期大津絵でも五枚継いだ大きなものもあるのですが、通常、初期大津絵でも二枚版が主流ですね。

Q)(色々見せていただいて)どれもとてもコミカルな顔をしていますね。

A)やはりその「コミカルさ」というのが特徴の一つで、そこが人気のある所なのでしょうね。

Q)大量生産しなくてはならないものだったわけですが、完全に版画にはならなかったんですね。

A)そうですね、ほぼ肉質ですね。この「青面金剛」(図録本)の前にいる鶏は版で描かれています。この「十三仏」(ファイル)も顔の部分が版なんです。顔は版でポンポン押していって、この光背の部分はすごく奇麗に丸が描けているじゃないですか。これは今で言うコンパスですね。筆に糸をつけて描いていたんですね。大津絵といっても、色んな技法が込められているんですよね。

Q)お土産品ですから庶民の方が買うものですよね。今で言うとどれくらいのお値段のものだったんでしょうか?

A)当時の蕎麦一杯くらいの値段だったみたいです。ですから数は本当にたくさん作られたと思います。私たちも旅行などに行ってタペストリーとかキーホルダーを買ってきますが、いつの間にかどこかにいってますよね(笑)。それと一緒で、その頃から400年経っているので現存するものが本当にないんですよね。浮世絵もそうですが、後世、雑に扱われて状態のいいものが少ないですよね。ですから、僕が扱う中で一つの信条としては、状態のいいものを扱うということを心がけています。

Q)大津絵は何時頃まで描かれていたのですか?

A)文献では明治の初め頃までと書かれています。大津絵の店というのが大正くらいの写真に写っているものがありますが、そこで大津絵を描いて売っていたのか、扱っていただけなのか、ちょっとわからないです。ですが、いわゆる古美術の大津絵というと江戸の前期から後期までですね。

Q)増田さんが大津絵を好きになったきっかけは何ですか?

A)甍堂で修行をしていた頃、品物の中で目を見張ったもののひとつが「大津絵」でした。こんなに面白いものがあるんだ!って。そこで初めて大津絵というのは面白いと思って、そこからですね。

Q)増田さんにとって、大津絵の魅力はなんですか?

A)やはり庶民のために作られたものなので、親しみやすさがありますね。それが一番の魅力でしょうか。
大津絵の全ての時代を見渡しても実に可愛らしくて、ちゃんとした絵師が描くものとはまた違う趣や、きっちりしていないから、かえっていいというか。

元々民芸がとても好きで大学の時は白州さんや柳宗悦に憧れたりして、そういった意味で大津絵のような大衆芸術のようなものも民芸の部類に入るので、素朴で可愛らしくて、味わいがあるところだと思います。

Q)東京アートアンティークでは季節の掛け物と題して展示されますが、大津絵も飾られるんですか?

A)「藤娘」や「鬼の念仏」は季節感もあるので出そうと思っていますが、他の大津絵はあまり季節を感じさせるものが少ないんです(笑)。ですが、6月の半ばに東京美術倶楽部での「東京アンティークフェア2012」では『大津絵展』をやる予定です。

それではそこでたくさん拝見できますね。たくさん見せていただいてありがとうございました。

天宝堂

店主 増田圭吾氏にお話を伺いました。

(2012年4月)

〒 103-0027 中央区日本橋2-9-7
http://www.fufufufu.com/tenpodo/(古美術品販売専用)
http://tenpodo.net/(古美術品買取専用)

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